障害者が作る健常者の感情
LCC航空会社バニラ・エアの一件は、記憶に新しいかと思います。
搭乗を断られた車椅子の障害者が、タラップを上半身の力だけで上まで登り、無理やり搭乗を果たしたあの一件です。
あの時、多くの健常者はどういう反応を示したか、覚えていますか。
LCCを使わずにもっとお金を出して大手の航空会社を利用すればいいのにとか、障害者が利用できないのを知って強引なことをしたとか、概ね否定的なものだったと記憶しています。
更に、この障害者の人は、日常的に航空会社に連絡をせずに車椅子で搭乗していたことから、その否定的な反応が大きくなりました。
この人はどうすれば良かったのか。
実際の場面では、帰りだったことから乗らないわけにはいかなかったのですが、仮に行きだったとすれば、ある程度のところで引き下がった方が良かったのではと思います。
そして、それをエッセイに執筆すれば良かったと思います。
権利に煩いと思われるある障害者は、「健常者に生かされているのではない」と言っていますが、残念ながらそうではなくて、私 た ち 障害者は、健常者に生かされている存在だと言えます。
健常者とガチンコ勝負したら、絶対に勝ち目はないからです。
私は健常者に、どんなときにも「ありがとうございます」と言うことにしています。
障害者の謙虚な姿勢が、健常者に悪い感情を抱かすことを防ぎ、結果的に健常者と障害者がスムーズに協力し合う流れを作ると思うからです。
絶対にやめてほしいのは、「障害者だから仕方がない」として健常者の邪魔になることを平気ですることです。
それを障害者の権利と勘違いしているらしい人を見かけますが、そういうことをするから健常者に好まざる感情を抱かせるのです。
こんな風に書くと、私が「障害者は健常者に対して卑屈になれ」と言っているように見る人もいるようですが、決してそんなことはありません。
要望するものやことがあれば、遠慮なく言っていいのです。
私が見るに、ブログの中には、障害者の考え方に0か100しかないような内容のものがあります。
「卑屈になる」か「大声で権利を主張する」かのどちらかなのです。
私は、1から99の間で、場面場面でコントロールする必要があると考えています。
遭遇する場面は無限通りありますから、ここで一つ一つ書くわけにはいかず、毎日あらゆる場面でこなしていくしかありません。
答えなんてないのです。
- 2017.07.30 Sunday
- 乗り物とバリアフリー
- 21:55
- comments(4)
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- by ニゼック
私は、運転出来るし、家族もいるので、
バスに乗りません。
座れると限らないし、立っているとコケそうで怖いからね。
病院などの座れるバスに乗りますが。
席を譲ってもらう発想は無いです。
タクシーも有るしね。